軽井沢は文化と芸術の街。様々な活動をしている芸術家、文化人、茶道家の方などと直接お会いしてその素晴らしさをお伝えします。谷口令

第二回 インタビュー 2021.10 深澤里奈さん

大学卒業後フジテレビにアナウンサーとして入社。
退社後、15歳より江戸千家十世家元に師事し学んだお茶の心をベースに、「調和」を目的とした、新しい定義づけの茶の湯プロジェクト『tea journey』を2009年に立ち上げる。
推奨しているテーブル茶のスタイリングを含む直接指導だけでなく、『もし私が南仏でお茶室をつくったら』をテーマとした、茶室兼アトリエや、新たな観点から考案したYukiwa-bon の創作など、ミニマルで心地よく凛とした美しさは、現代に生きる茶の湯デザインとして注目を集めている。

 

Books

お茶のある美しい暮らし
〜心が豊かになる茶の湯の旅tea journey 〜

深澤里奈が打ち出した、心が調和する 茶の湯プロジェクト「tea journey」から生まれた、美しい一冊。

 

Products

「Yukiwa-bon」

2018年、tea journey 初のオリジナル商品、「Yukiwa-bon」の販売がスタートしました。
Yukiwa-bon の名前の由来は「雪輪」です。
雪輪は、日本で長く愛されている吉祥文。

「雪」は、tea journeyにとってとても大切なモチーフです。

詳細はこちら

 

Class

心の調和や、安らぎを感じるための茶の湯プロジェクト「tea journey」を、継続的に受講できるクラスは、軽井沢と東京で随時開催しております。

詳細はこちら

Link

谷口 軽井沢に暮らすきっかけをおしえてください。
里奈 きっかけですね!実は子供が生まれていろいろと環境が変わったのですが、
もう少し前からお話すると、元々私はフジテレビでアナウンサーとして働いていました。
とても忙しい毎日を送っていましたが、退社を決めた時期と同じ頃からヨガを始め、しばらくはどっぷりとヨガ生活を送っていました。
その頃、1度東京を離れてみたいという気持ちになりました。

谷口 ということは、それまでは東京にいらしたのですか?
里奈 そうです、東京生まれの東京育ちです。
父の仕事の関係で0歳から3歳までは福岡に住んでいたのですが、あまり記憶はありません。
ですからずっと同じような環境で生活をしていたわけですが、
会社を辞めてヨガをはじめたときに、
今まで出会ったことがないような人たちと知り合うことができたのです。

谷口 それがなにかキッカケになったのですか?
里奈 今まで周りにいなかったタイプの方と仲良くなったことが自分の中に変化をもたらしました。
例えば、自然が身近にあるようなところで暮らしてみたいとか、身体がよろこぶ食を丁寧に摂りたいとかです。
そのときは鎌倉辺りに住もうかと思ってました。
残念ながらなかなかクリアできない仕事上の問題があり、その時は断念しました。
しかし、私はずっと同じところに留まる質ではなく、それまでも沢山の引越しを経験していましたから、
海外を含め、いつかどこかで暮らしてみたいという気持ちはずっと持っていました。
その後子供を授かって育児がスタートしたのですが、
私にとって東京での子育ては本当にしんどくて、
もう何回涙を流したかわかりませんでした。

谷口 何が一番つらかったんですか?
里奈 仕事が不規則なのにも関わらずワンオペだったということでしょうか。
最初のうちは、頼れる人が周りにいませんでした。
そして車を持っていなかったので、子供を連れて移動するときに公共の交通機関を使うのですが、
替えのオムツをはじめ大量の荷物と共にベビーカーで移動するということが、想像以上に大変でした。
エレベーターが完備されていない地下鉄もまだありますから。
でも毎回タクシーっていうわけにもいかなくって、次第に家に閉じこもることが増えていきました。
子供に対してもあまり明るく接してあげられない時もあったと思います。
そんな自分に落ち込み、誰に「助けてほしい」と言ったらいいのかわからなかったです。
そういう状況が続いたこともあって、「この生活でいいのかな」とずっと思っていました。

谷口 それは気持ち的にも大変でしたね。その後子育ての環境は少しは変わったのですか?
里奈 保育園にも入園でき、家族で話し合って、シッターさんを探し始めました。
何人かとお付き合いさせていただいた後、幸運なことにとても合うシッターさんとの出会いがあり、
娘が1歳になる頃から軽井沢に引っ越すまでの間、家族のように助けていただけました。
子育て経験のある女性は皆経験していることだと思いますが、自分の体調が悪くても休めないし、
寝込むことができません。
仕事が終わってくたくたで帰ってきても、むしろそこからの方がもっと体力勝負だったりします。

谷口 うちの母も倒れたときにはもうどうしようもなくってお手伝いさん雇ったことがありました。
あとで聞いたらすごい助かったと言ってましたよ。
里奈 娘にとっても家族のような存在になったことに本当に感謝しています。
もちろん全部任せられるわけではありませんが、手伝ってもらうことで、
私もずいぶん精神的にも支えてもらいました。
今でも彼女との交流は続いています。

里奈 東京での住まいは、高層階でした。
20階以上でしたが、地震も経験しましたし、
子供にとっても高いところより地面に近いところで暮らしたいという気持ちがありました。

谷口 私もかつて全く同じことを考えました。
高層階に暮らしていて子供の体調が悪くなった時期があったの。
それで田園調布の一戸建てに引越したんです。

里奈 そうだったんですね
元々そこでの生活は限定的と考えていましたから、
いつかチャンスがあれば大地の近くに引っ越そうと常に考えていましたね。
その頃はコロナの前だったので外国も視野にいれていました。
私がtea journeyを続けていくことが前提でしたので、日本の茶の湯を好んでくれる、
親和性がある国や地域が良いと考えていました。
例えばフランスやイギリスなどです。
フランス人は日本の茶の湯文化が大好きですし、
イギリスにはアフタヌーンティーの文化があります。

また、教育面で考えるとシンガポールは魅力的だと思っていました。
しかし、そもそも東京という都会を出ようと考えていたので、
大都市に行くのは違うかな、など割と楽しんで悩んでいました。
いろんな思いがある中で、自分の転機が今から4.5年前にあったような気がします。
何かにとりつかれたように自分の持ち物の整理をはじめました。
今まで手付かずだったお金の整理もし始めたんですよ。
使ってない銀行口座を閉じたり、クレジットカードの数を絞ったり、引き落としの銀行口座を一つにしたり、
子供の学費のための積み立ては本当にこれでいいのか?とか。
さらに保険まで、あらゆることを見直したんです。
そしてはじめて投資の勉強をして、実際に投資にも初挑戦したんです。
当時、私はその作業を「半活」と名付けてコツコツやっていたのですが、
結果的に自分の持ち物は半分ぐらいになったと思います。
その上にお金の方まで整理をし始めて、
これはきっと何かの前兆に違いないと思っていました(笑)。
一段落して何かあるかなと思ってましたが、
すぐには何も起こりませんでした。
でもすっきりと生活できるようになったので
「これでいつでも、どこにでも行ける」と準備が整った感覚でした。
しばらくすると、徐々にいろいろと変化がはじまりました。

谷口 なにがあったのですか?
里奈 これは世界中の人々にとって同じだと思いますが、
新型コロナウイルスの感染拡大が始まりました。
娘は保育園から小学校に入学する時期でしたが、
いきなり休校になってしまいました。
始まっても分散登校でしたし、短縮授業で全員マスク。
子供らしからぬ距離をとることを義務付けられ、
新しくお友達をつくろうにも、思うようにいくはずがありません。
給食がやっと始まったと思ったら、「黙食」。
この時期の学校の先生方、保護者の皆様、そして誰よりも子供たちは
本当によく頑張ったと思います。
そして想定外の災害が起きた時、はじめて気づくことが沢山あると思います。
私の場合は、娘の子供時代をどこで過ごさせたいのかということについて
今まで以上に真剣に考えさせられ、決断を迫られたような気がしました。

谷口 わかる。母親のカンですね。
里奈 子供を育んでいく上で大切にしたいことはなんだろう。
そして、その大切にしたいことは、この学校にあるだろうか。
今は見出せなかったとして、コロナが終息したら、
見出せるのだろうかと考えた時に、そもそも「ここ(東京)じゃない」と悟ったのです。
きっとどこかで私自身気づいていたのに、決断を先延ばしにしてしまったと感じました。
新型コロナウイルス感染拡大という未曾有の出来事によって、
胸の奥にしまっていた本心が、抑えきれなくなりました。
今こそ自分たちで人生を変えていこう!と、家族で話し合い、
翌日には軽井沢の知り合いに電話をかけて移住するための準備を始めました。
そこからはとんとん拍子に色々なことが決まり、引っ越しまであっという間でした。
心に決めると願いが叶うのか、それとも、時が来たのでしょうか。
驚くほどなんの障害もなく進むのを実感したんです。

谷口 私も同じで、言葉にすると夢が叶ってきたの。そう!決めれば人生が変わる!
私の経験では、とんとん拍子で物事が決まっていくときは進めの合図なの。
だけどいろんなところでストップがかかったりするのは「今じゃない」ってこと。
環境を変えたいと思った里奈さんの気持ちが引き寄せたんですね!

里奈 そうですね。私も軽井沢で暮らしたかったし、その暮らしを子供に体験させたいと心から思っていました。
なぜなら、「美しいもの」を子供に見せ続けるということは私にとって一番大事にしたかったことだからです
画面越しや遠いところから「綺麗だよね」と言うのではなく、実際に触れて、
日々移りゆく自然の営みを、暮らしの中で感じることによって、
美意識は育つと信じています。

 

谷口 里奈さんの子育てや環境、引っ越しなどの考え方に感動してしまいますね。
そういえば私も里奈さんにお茶を習っていますが本当におちつくんです。
里奈さんのお茶にはどんな考えがあるのかしら?

里奈 私が提唱しているお茶の世界「tea journey」ですね。
私は、15歳の時に茶の湯の稽古を始めました。
今までの人生の中で、茶の湯という世界を持っていたからこそ救われたという経験を何度もしています。
「一服のお茶がもたらす心の調和」を大切にして、奥深いお茶の世界を旅しながら、
無理なく楽しめる心地よいお茶のスタイルを自由に創造していきたい」というのが理念です。
基本はテーブルと椅子で行う茶の湯スタイルなので、
着物や正座が苦手だという方、沢山の道具を集められない、
という方からもご好評いただいています。

そしてもうひとつ裏テーマがあります。
もちろん1人でも多くの人にお茶に親しんでもらいたいというのが大事なテーマなんですが
実は私は、「tea journey」を平和活動だと捉えています。
先ほど令さんがおっしゃったように、
ここに来ることによって「気持ちが落ち着き、心が調和すること」を体験できます。
そうすると、令さんは次に会う人に「すごく優しく」接すると思います。

谷口 なるほど!本当にそうなんです。ここにくると心が穏やかになるんです。
里奈 その優しさは、紙にインクを一滴垂らした時にジワリと広がるように、どんどん連鎖していきます。
小さなアクションかもしれませんが、
大きな平和に繋がっていくと信じて活動を続けています。
私はひとりでも多くの方に、皆さんの中で一番調和した状態を体験してほしいと思っています。
お茶に興味がある方はもちろん、そのような体験をしたいという方々も来てくださると嬉しいです。

谷口 ありがとうございます。いや、ちょっと話がもう話が盛り上がっちゃいました。
それで軽井沢に実際に来ることになって、いちばん気に入ってるところはなんですか?
里奈 なんといっても、美しいところです。
移住を考えた時に、「美しさ」は絶対に外せないポイントでした。
緑豊かだったらどこでもよかったわけではありません。
軽井沢は、圧倒的に美しかった。
私の場合「tea journey」を続けていく上で人に来ていただくということが要になってきます。
軽井沢は、お茶がなくても来たい魅力的な場所です。
長年の生徒さんにとってもアクセスしやすく、私自身も東京に出ていきやすい。
地理的な条件も、フィットした理由のひとつです。
新幹線で1時間という立地は、今、東京からの移住者が激増している大きな要因だと思います。

谷口 でも両方で仕事もありながらとなるともう移住ですよね。
里奈 もちろん腹をくくって移住しました。

谷口 里奈さんの考え方って私すごいなと思う。
私も移住したいけど東京の生活がいっぱいあって、まだ私は腹くくってないもの。
里奈 腹をくくるまで、全く葛藤がなかったかと言えば嘘になります。
もしかしたら全てのメディアの仕事を失うかもしれないと思いました。
「それでも軽井沢の生活を選ぶのか」という自問をした時に、
やはり今生活を変えなかったら絶対後悔すると思ったんですよ。
子供の学校に合わせて4月に引っ越しました。
引っ越しの時期に関しては完全に子供の都合ですね。

谷口 でも、その子供都合があったからこそよね。
里奈 いつでもいいんだったら先延ばしにしていたかもしれません。

谷口 私も家が見つかったから行くかって決めたんです。
だってそんなに簡単に見つからないじゃないですか!
ほんと見つかったから来られたという感じなんです。
里奈 今、軽井沢住宅の需要と供給のバランスが合ってないという話はよく聞きます。
家が見つからない人もたくさんいると思うんですよね。
あんまり気がすすまないところに暮らしたくないでしょうし、
通年すむのであれば、冬をちゃんと越せる仕様になっている住宅を見つけなくてはなりません。
経験したことのない軽井沢の冬の寒さを乗り越えられるかな?
と私も思っています。

谷口 軽井沢に決めたのは、美しいものがいっぱいあるってこと、
都会と地方の良いところがあるっていうそうですね。
里奈 もちろん、教育環境も考えました。
長野県は自然豊かなことはもちろん、学校の授業日数が平均より多く確保されています。
教育熱心な県だということがわかります。
また、軽井沢の別荘地は日本で一番厳しいルールが敷かれているそうですね。
別に法律ではないので破ったところで、罰は受けないそうですが、
例えば隣家との間に「塀」を作らないとか、
家を建てる時、必ず道から数m入ってなきゃいけないなどですね。
建蔽率はまさかの20%!
100坪買っても、家を建てられるのは20坪ということになります。
外壁の明度、彩度も細かく決まりがあるようです。
そのおかげで森と建物がすごく調和していて、
どこを見ても奇抜なものはなく、
どの建物を見ても、森と自然に敬意を払ってそこに佇んでいるように見えます。
私もこういう環境の中で自分で花を育て、床の間に飾り、
お茶を点たいと心底思いました。
国内での移住を考えた時に、候補地が他になかったわけではありませんが、
最終的に軽井沢に決めたのは、言葉にできないくらい軽井沢に惚れ込んでしまったからだと思います。
一目惚れですね。

谷口 私もよくわかります。私、学生時代に軽井沢でアルバイトした経験があって
「銀座竹葉亭」という鰻のお店だったのです。
実はオーナーの奥様は私と同じ大学なんですね。

その時にお店に来る人たちが今まで見たこともないような人たちばかり。
毎日毎日「こんな世界があるんだ」って思ったんです。

それから軽井沢って何かすごいって私は考えているんです。

谷口 軽井沢でおすすめの場所はありますか?
里奈 よく行く場所は、子供も一緒に楽しめるところですね。
塩沢湖がおすすめです。小さな遊園地もあるしボートもある。
本当に自然の中で気持ちの良い場所ですね。

軽井沢タリアセン(塩沢湖)

里奈 「軽井沢発地市庭」(ホッチ市場)もおすすめです。
野菜の鮮度は抜群です!
あんまり遅い時間に行くともうなくなっちゃうのでお早めに。

軽井沢発地市庭

谷口 まだ「軽井沢発地市庭」までは1人で車で行けないけどなんとか行ってみたいですね。
軽井沢に来てライフスタイルで一番変わったことはなんですか?
里奈 東京にいるときよりも、圧倒的に子供といる時間が長くなりましたね。
軽井沢では親の送迎が必須になります。
多い時は、朝学校まで送り、学校に迎えに行ってお稽古場に送り、また迎えに行くといった具合です。
でも、東京でどんなに悪天候の時でも自転車の後ろに乗せていたことに比べたら、全て車ですし、
ほとんど渋滞もなく、駐車場も完備されているので、全く苦労は感じません。
子供が中学生、高校生になっても、自転車で行ける距離でなければ、
また、暗くなる時間帯などは、軽井沢では車での送迎が必要です。
東京とは違うところのひとつだと思いますが、子供が年頃になって、
あまり親と一緒にいたがらない時期でも、
一定の時間密室で過ごすのはなかなかいいものだよと、どなたかから聞きました。
強制的に会話が生まれるからなんだそうです笑。
それを聞いて、短い子育ての期間、
私もなるべく子供と一緒にいられることは幸せなことだなと感じています。

 

谷口 そんな効果があるんですね。それでは軽井沢にきて仕事に対する影響はどうですか?
里奈 軽井沢で「tea journey」を始めるというのは私にとって一つの挑戦でした。
今までは東京で活動していたので、日本中様々な地域からいろいろな人が来てくれましたが、
軽井沢に移動しても、通ってくれるかしら?と最初は不安でした。
でもみんな喜んで軽井沢まで来てくれます!ありがたいことです。
むしろ、軽井沢をとても楽しみにしてくださっているようです。
こうして令さんとの新しい出会いもあって楽しいです。

谷口 軽井沢だからこそ、みんな来てくれるっていうのはありますね。
里奈 そう!やはり軽井沢は美しく魅力的な場所です。

谷口 里奈さんの軽井沢流の過ごし方を教えてください。
里奈 軽井沢という場所は、車で色々んな場所にアクセスしやすいので、
小諸とか、佐久方面にもよく出かけますけど、
八ヶ岳や清里、白樺湖などにも足を伸ばしやすいです。
寝坊しちゃったけど、「いい天気だから今から清里いこうか?」と、
午後からでもお出かけできちゃうのが魅力です。
カーライフも楽しんでいます。

谷口 ですね。それ最高!他にも軽井沢って温泉がたくさんあるじゃないですか。
里奈 着替えを車に入れとくんです。そうすると帰りに温泉入ることもできますよ。

谷口 里奈さんは「自分に運が味方してくれたこと」ってなにかありますか?
里奈 私生まれたときから今に至るまで、自分が運が悪いと思ったこと1回もありません!

すごくつらいことがあっても、
これは何かいいことが起こる前兆だなと思えるタイプです。

谷口 いつもそのサイクルですか?
里奈 やりたいことがあるのになかなか進まないってとき、は令さんも同じことおっしゃってましたが、
今じゃないんだなと思って、じっとしてます。
でもずっとその思いを心に秘めて準備をするために片付けたり、
おもいっきりジャンプするまえにしっかりしゃがむタイプです。

谷口 里奈さんが情熱をかけていること、これからやりたいことを教えてください。
里奈 情熱をかけてることは茶道(茶の湯)の楽しみ方を伝えていきたいってことです。
茶道(茶の湯)ってたくさんの型が決まっていて、
なかなかその固定概念や既成概念から脱することが難しい世界ですけど、
「tea journey」の活動を始めたとき他に「テーブル茶」を軸に教える方はいませんでした。
私はその当時から、tea journeyの目的は「心の調和」だと言っています。
テーブル茶を学ぶ時間と場所でありながら、
「心を調和」のための時間と場所になるのです。
だから、決してお点前が上手じゃなくても、
その日心が調和して帰ってくれれば「私はそれでよし!」としているところがあり、
これこそ他の稽古場と決定的に違う点だと思います。

谷口 だから私はここに選んだのです。
古いしきたりから時代にあわせて変わらないといけないと私自身も思っています。
考え方もライフスタイルも!でもみんな怖くて一歩前にでられない。

でも大丈夫だってことを身をもって伝えていきたいですね。
風水も時代にあわせて進化しないと取り残されてしまう。
だから私はこの風水を現代に合うように変えてきたんです。

こんなことやっている人は他にいないんですよね。

里奈 お茶は伝統的な世界ですが、
自分の師匠である家元に「こういうことをやりたい」とお伝えした時に
「思ったようにやりなさい」と言っていただけました
家元でなければ、今の私は、tea journeyはなかったと思います。
自由にさせてくださることに、いつも感謝しています。
でも全てが順調だったわけではなく、心が折れそうになったことが何度もありました。
そんな中自分が一番信頼し、自分が一番お茶の世界で尊敬している人から、
「思ったようにやりなさい」と言っていただけたその言葉だけが支えとなって
ずっと続けていられるんです。
今でも自分なりの形というのは常に模索していますし、学び続けてもいます。
教える立場になれば、さらに学び続けなきゃいけない。
私は軽井沢で暮らすことによって、
自分自身をアップデートしたいと思っています。
自然の中に身を置いて、自然から学ぶこともたくさんあるでしょう。
今までピンとこなかった、季節の習慣、慣例なども、
身をもって理解し深まると思っています。
そして、その理解が自分の血となったとき
自分の言葉で伝えていきたいです。

谷口 そうですね、いつも暖かいとこ、高い場所にいたら何もわからない。
人の温かさとか、火の暖かさとか、それは体験しなければわからないんですね。
里奈 そういう体験は子供にもしてほしいし、
なんでそんな面倒くさいことやるの? という疑問がわいたときに、
言葉で伝えなくても、その意味が附に落ちるという体験をして欲しいと思っています。

谷口 今日は本当に楽しいお話をありがとうございます。
最後に軽井沢に移りたい人住みたい人に一言お願いできますか?
里奈 子供の教育面だけでなく、自分の仕事が「tea journey」だったから、
軽井沢がフィットしたわけですが、
今一度、なぜ軽井沢にこだわるのかを自問していただきたいと思います。
というのも、先にお話ししたように、現在軽井沢の住宅は供給量が足りていません。
軽井沢に固執しすぎず、柔軟に色々な可能性を探られると、
きっといいご縁に恵まれるのではないでしょうか。
もちろん余裕があるなら、
1度試しに住んでみて合わなかったら変えるという選択肢もあると思うのですが、
東京と変わらないぐらいの家賃を出して、
闇雲に進んでみるというのは、あまりにリスクが大きいと思ってます。
それでも「やっぱり軽井沢がいい」という方は
気を長くもって探され続けるといいかもしれません。
良いご縁に恵まれますように。
今日はありがとうございました。

 

 

インタビューを終えて

笑顔が素敵な里奈さん。お茶を軽井沢で始めたきっかけなどを聞くと「いつも前向きな気持ちを忘れない、あきらめない」そんな里奈さんの人柄に感動しました。

「美しいものを見続けられる、それが軽井沢」

もっと多くの方にこの言葉を伝えていきたいです。ぜひ里奈さんのお茶の世界「tea journey」で「心の調和」を体験してください。

文中「深澤」さんのことを「里奈」「里奈さん」と表記しますが、ご本人様に了承を得ております。

谷口令